VIPラッシュから大阪万博開催へ
深刻な住宅不足の解決策として登場した、「千里ニュータウン」。昭和37年(1962年)、吹田市佐竹台に待望の入居がスタートしました。「千里ニュータウン」の建設が進むと同時に、日本初のニュータウンとしての注目度も高まり、国内はもとより世界各国からの視察や見学が相次ぐようになりました。なかでも、昭和39年(1964年)から43年(1968年)にかけては、昭和天皇・皇后両陛下、皇太子ご夫妻「現天皇・皇后両陛下」をはじめ政府要人や海外要人が続々と訪れ、「千里ニュータウン」はまさに“VIPラッシュ”。なかでも昭和天皇・皇后両陛下は、できたばかりの展望台(千里中央公園)にまで登られ、「千里ニュータウン」と決まったばかりの万博予定地を一望されたようです。目の前に広がる、“2つの未来都市”。どのような思いで、ご覧になったのでしょう。そして、昭和45年(1970年)大阪万博が開幕。千里ニュータウンの知名度が一段とアップしたことはいうまでもありません。
トイレットペーパーが消える!?
あっという間に2倍の値段
大阪万博開催から3年後の昭和48年(1973年)11月1日、「トイレットペーパーがなくなる!!」という話が全国を駆け巡りました。世は、オイルショックによる石油製品の値上げ真っ只中。火つけ役となったのは、何と「千里ニュータウン」にある『千里大丸プラザ(現:ピーコックストア千里中央店) 』でした。特売広告に「(激安の販売により)紙がなくなる」と書かれていたため、300人近い主婦の行列ができ2時間のうちに500個近くが売り切れ。特売品でないものも、瞬く間になくなったといわれています。こうした状況をテレビや新聞が「あっという間に値段は2倍」とも取り上げ、各地にデマが飛び火。パニックは急速に拡大していきました。デパートでは、トイレットペーパーの販売のたびに迷子が出るほどの混雑ぶりだったとか。笑い話のようですが、実際その場にいたらワレ先!と走ってしまうかもしれませんね(笑)。翌年の1月に標準価格が定められ、3月には収束したようです。それにしても、全国から注目を集める「千里ニュータウン」。こんな騒動から、その名前を主婦層にまで広めたことでしょう。
千里ニュータウン半世紀のあゆみ
太田 博一さん
千里ニュータウン研究・
情報センター
都市プランナーという視点から千里ニュータウンの研究に携わるとともに、コミュニティカフェ「ひがしまち街角広場」を始めとする地域活動を実践。千里絵葉書を制作・販売する千里ニュータウン研究・情報センター(千里グッズの会)事務局長。千里まちあるきなど、地域住民のふれあいを育む、数々の活動にも積極的に取り組まれています。
Q:千里中央でのお気に入りスポットは?
A:せんちゅうパル2階の「純喫茶」、せんちゅうパル地下のディープ大阪的雰囲気の飲み屋、千里文化センター(コラボ)屋上庭園
Q:休日は何をしている?
A:街並み撮影を兼ねた長距離まち歩き、町家・長屋・路地探索
Q:最近ハマっていることは?
A:スーパーフライ(越智志帆)の歌声、中崎町あたりの立ち飲み屋でのロック談義
Q:好きな言葉は?
A:地道